ショッキングな研究結果
2022年3月1日、東北大学からショッキングな見出しのプレスリリースが発信された。[1]
題して『ムキムキを目指すだけが筋トレではない。 筋トレで死亡・疾病リスクが減少 週30~60分を目安に』というものだ。
このプレスリリースに以下の文言がある。
「筋トレの実施時間が週130~140分を超えると、総死亡・心血管疾患・がんに対する好影響は認められなくなり、むしろリスクは高い値を示した」
「本結果は筋トレの長期的な健康効果を示す一方、やりすぎるとかえって健康効果が得られなくなってしまう可能性を示唆する重要な知見である」
このプレスリリースの元になったメタ解析[2]は何度も読み返しているが、興味深いのは糖尿病を除くと、筋トレによる「健康効果」(疾患リスク低減効果)が無くなるのは、全死因による死亡リスクで週に140分、心血管疾患で週に130分、全種類のがんで週に130分と、非常に近い点である。
また筋トレの「健康効果」が最大になるポイントも週に30〜60分近辺に固まっている。
糖尿病だけに関しては、筋トレ時間が長くなればなるほどリスクが下がっている。
ウェイト・トレーニングは身体に良いのか悪いのか?
以前「アスリートは長生きする」というコラムを書いた際に明らかだったのは、まず「エリートスポーツ選手は寿命が短い」というのは迷信であり、それに反するようなデータばかりが山程あるということだった。
有酸素運動だと例えば、米国のランナーを対象にしたデータでは、週1回走る人の死亡リスクは全く走らない人に比べると大幅に下がり、週2、3回走る人で死亡リスクが最低となっている。[3]
その上、週6回以上走っても全く走らない人に比べ死亡リスクははるかに低いままである。
一般的な本格的ランナーとトップクラスのランナーの死亡リスクを比較した研究でも心疾患のリスクは変わらないという結果が出ている。[4]
そもそも2010年のレビューで最大酸素摂取量に関連した心肺機能フィットネス指数が上がると、全死因と心臓血管疾患による死亡リスクが下がる傾向が明示されているので、持久系アスリートは長生きすると考えるのが自然に思える。[5]
ツール・ド・フランスのサイクリストを対象とした研究でも出場者の死亡率は一般男性に比べて41%低いことが判明。[6]
同様に、フランスのボート競技のオリンピック選手らも一般人に比べると全死因による死亡リスクが42%低いというデータがある。[7]
競技の範囲を広げてみよう。
2021年の研究では元オリンピック選手(8124名の元米国オリンピック選手達)は一般人に比べて5年長生きすることが判明し、当時のニュース記事の見出しとなった。[8]
しかしながら興味深いのは2020年のメタ解析だ。[9]
このメタ解析では16万5千人もの元スポーツ選手のデータを題材にしている。
このレビューの主なポイントは以下の通り:
(1)男女エリートアスリートは一般集団より長生きする
(2)男性アスリートは一般集団より心臓血管疾患およびがん死亡率が低い
(3)パワースポーツ選手の全死因および心臓血管疾患死亡率は一般集団と有意差がない
(4)持久スポーツ選手のがん死亡率は一般集団と有意差がない
(5)追跡期間が長くなると全死亡とがんの標準死亡比が上昇するが心臓血管疾患死亡率は上昇しない
また結論には「持久系アスリートとチームスポーツアスリートは全死因死亡率が一般人よりもかなり低いが、パワー系(重量挙げや投擲)アスリートでは一般人と変わらない」とある。
なるほど、このあたりに少しヒントがあるような気もする。
何が起きているのか?〜現時点での推測
上述したデータを見ると、多くの「健康効果」は心肺機能フィットネスに関連していると言えそうだ。
逆に心肺機能フィットネスを劣化させると、大雑把なレベルで、死亡リスクや疾患リスクが上がると考えて差し支えない。
相関関係と因果関係を混同してはいけないのは常識だが、巷でこれが理解されることは無いので、その都度言うとしよう。
つまり「筋トレを長時間やり過ぎると身体に悪い」かどうかは不明だが、「心肺機能フィットネスを落としてはいけない」のは間違いないということである。
トレーニングの種類による直接的影響というよりも、まず、心肺機能を上げないタイプのトレーニングは「健康効果」について言えば「大したことがない」という前提が考えられる。
「心肺機能を上げない作業やエクササイズ」に費やすエネルギーを増やし、またその結果疲弊が蓄積するようであれば、当然ながらそういった一連の行為が心肺機能向上の妨げになり得るのは想像に難くない。
筋繊維の美学
それに加え、筋トレにはまり、筋肥大を極限まで目指したいというメンタリティが発生した場合には、またもう一段階上のシナリオが考えられる。
往々にして「成長」を促す因子はがんや老化を促進する。
肥満も過度の成長の一種であると強引に考えてみると分かりやすいかも知れない。
また反対に、成長しないのは悪く言えば子供のままだが、良く言えばそれは「アンチエイジング」である。
成長因子をブーストして人生を早送り▶▶にすると死亡リスクが上がって当然だろう。
筋肥大にはmTOR経路という代謝系の活発化が必要であるが、この経路は案の定、多くの疾患や老化、がんの発生に関連している。
mTORは、細胞老化、免疫反応、細胞幹制御、オートファジー、ミトコンドリア機能、蛋白質恒常性など、老化と密接な関係があるため、それを抑える研究は盛んである。[10, 11, 12, 13]
成長と老化は同じコインの表と裏なのかも知れない。
しかし心配は要らない。
次のセクションでは現時点でどのような方策をとるのが良いか考察してみる。
目的に見合ったライフスタイルを
まず、理論的には筋トレをどれだけ行っても、心肺機能フィットネスが落ちなければ「不健康リスク」は殆ど上昇しない可能性が高いと考えられる。
何故なら筋肉を使わない運動は存在しないからである。
「全ての運動は筋トレである」という見地に立つなら、心肺機能を上げる「筋トレ」をすべし、ということになる。
もちろんこれは言葉遊びだ。
実際には、ウェイト・トレーニングと有酸素運動を並行して行い、さらに心肺機能も向上させるよう観察すべきである。
心肺機能の向上を第一義に据えることで多くのリスクは低減されるものと予想する。
何より重要なのは自己欺瞞を無くすことである。
筋肥大を極限まで追求したければ、寿命が縮まり、多くの疾患のリスクが上がる可能性が高いという認識のもと、心置きなく追求すれば良い。
長生きしたければ筋肥大はほどほどにして心肺機能を落とさないようにする。
それだけのことではないだろうか?
週に何分以上筋トレを行うと云々、という数字的な区切りに躍起になってはいけない。
前述したように相関関係の部分が大きいからだ。
最後に、美の定義と特定の造形に対する価値観は常に移り変わるものであるということを認識しよう。
いまだかつて、脱水して岩のように固くなり、全身に血管が浮き出た状態の身体が、「健康」はもちろんのこと、格闘や戦闘、日常生活や農作業、ひいては生殖に有利だったことは一度も無い。
動けることを前提とした機能美で言うなら、ある程度水分を湛えた適正な状態、体重で、体脂肪も少しくらいあった方が何かと有利である。
古典的絵画に描かれた男女の肉体美、造形美を目安とするのはどうだろうか?
そうするとこういった研究発表に一喜一憂する必要は無くなるかも知れない。
堀江 俊之
Reference (出典)
1. https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2022/03/press20220301-02-muscle.html
2. Momma, Haruki, Ryoko Kawakami, Takanori Honda, and Susumu S. Sawada. "Muscle-strengthening activities are associated with lower risk and mortality in major non-communicable diseases: a systematic review and meta-analysis of cohort studies." British Journal of Sports Medicine (2022).
3. Lee, Duck-chul, Russell R. Pate, Carl J. Lavie, Xuemei Sui, Timothy S. Church, and Steven N. Blair. "Leisure-time running reduces all-cause and cardiovascular mortality risk." Journal of the American College of Cardiology 64, no. 5 (2014): 472-481.
4. Abstract 14863: Athletes Performing Extraordinary Physical Activity (>10,000 MET·Min/Week) at No Greater Risk of All-Cause or Cardiovascular Disease Mortality, Journal Article, 2019, Circulation, A14863-A14863, 10.1161/circ.140.suppl_1.14863
5. Lee, Duck-chul, Enrique G. Artero, Xuemei Sui, and Steven N. Blair. "Mortality trends in the general population: the importance of cardiorespiratory fitness." Journal of psychopharmacology 24, no. 4_suppl (2010): 27-35.
6. Marijon, Eloi, Muriel Tafflet, Juliana Antero-Jacquemin, Nour El Helou, Geoffroy Berthelot, David S. Celermajer, Wulfran Bougouin et al. "Mortality of French participants in the Tour de France (1947–2012)." European heart journal 34, no. 40 (2013): 3145-3150.
7. Antero-Jacquemin, Juliana, François Deni Desgorces, Frédéric Dor, Adrien Sedeaud, Amal Haïda, Philippe LeVan, and Jean-François Toussaint. "Row for your life: a century of mortality follow-up of French Olympic rowers." PLoS One 9, no. 11 (2014): e113362.
8. Antero, Juliana, Hirofumi Tanaka, Quentin De Larochelambert, Maja Pohar-Perme, and Jean-François Toussaint. "Female and male US Olympic athletes live 5 years longer than their general population counterparts: a study of 8124 former US Olympians." British journal of sports medicine 55, no. 4 (2021): 206-212.
9. Runacres, Adam, Kelly A. Mackintosh, and Melitta A. McNarry. "Health consequences of an elite sporting career: long-term detriment or long-term gain? A meta-analysis of 165,000 former athletes." Sports Medicine 51, no. 2 (2021): 289-301.
10. Saxton, Robert A., and David M. Sabatini. "mTOR signaling in growth, metabolism, and disease." Cell 168, no. 6 (2017): 960-976.
11. Iglesias-Bartolome, Ramiro, Vyomesh Patel, Ana Cotrim, Kantima Leelahavanichkul, Alfredo A. Molinolo, James B. Mitchell, and J. Silvio Gutkind. "mTOR inhibition prevents epithelial stem cell senescence and protects from radiation-induced mucositis." Cell stem cell 11, no. 3 (2012): 401-414.
12. Kolesnichenko, Marina, Lixin Hong, Rong Liao, Peter K. Vogt, and Peiqing Sun. "Attenuation of TORC1 signaling delays replicative and oncogenic RAS-induced senescence." Cell cycle 11, no. 12 (2012): 2391-2401.
13. Uchenunu, Oro, Michael Pollak, Ivan Topisirovic, and Laura Hulea. "Oncogenic kinases and perturbations in protein synthesis machinery and energetics in neoplasia." Journal of Molecular Endocrinology 62, no. 2 (2019): R83-R103.